美を捉える感覚が、
自分だけの世界を広げていく
AYANA ビューティライター
思えばずっと「美しさとはなんだろう」と考えて生きてきた気がする。「美しい」という言葉、非常に便利であるためついつい使ってしまうが、その実態は曖昧であるとつくづく思う。
私は自分のことを美しいものが好きな人間だと思っている。けれども、私にとって美しいと感じられるものが、他の誰かにも同じ気持ちを芽生えさせるかというと、まずそんなことはないと言えるだろう。人の好みはさまざまであるし、そもそもどんな感覚を自分にとっての美しさと捉えるのかという基準からして人によって異なっているはずだ。美とは数値化できない、はっきりと定義することが難しいもの。だからこそ魅了され、いつまでもそれについて、暇をみつけては考えてしまうのかもしれない。
あえてここでひとつの提言をさせてもらうなら、美しさには人の心を動かす魅力が宿っている。見る者・触れる者に喜び、幸せ、発見、充足感、希望など、多様な煌めきの感動をくれるのだ。その心地よい、ときには衝撃をともなう感情の波は、強いパワーとなる。より素敵な、豊かな、良い人生にしていくための着火点となるパワーだ。
たとえば、綺麗な写真を見て忘れかけていた感情が蘇る。ドラマを観て懐かしい友人を思い出し、久々に連絡を取ってみる。誰かの言葉に勇気をもらい、面接に気合いを入れてみる。ささやかなことから、一大決心まで。より良い変化を求める意識のおおもとには感動があり、その感動をもたらしてくれるのが美しさなのだ。だから、美に多く触れていく人生のほうが、きっといい。
美しさって、誰かと比べるようなものじゃない。それよりも、自分にとっての美とはなにかをわかっていることのほうがずっと大切だ。そのために、どんなときに自分の気持ちが動くのかについて考察してみる。影響を受けた本や映画、旅行したいと思う場所、大切にしている歌詞、大好物のメニュー。それらが自分に、どんな心の動きをもたらしてくれるのか。そこに間違いなくあなたらしい美しさのヒントがある。
地球上に自分ひとりしか存在していなかったら、何かを美しいと感じることは可能だろうかと考えたことがある。個人的な答えはYES。美は私個人の原動力と成りうるものだし、周りに何もなかったとしても、自分自身で何かを作って心を慰めることはできるはずだからだ。でも、沢山の素敵な人が存在する場所で、美しさを表明し合い、影響を受け合いながら、お互いに素敵なほうへ向かっていけるほうがずっといい。幸い、私たちが生きている地球は、今のところ後者の環境にある。
誰かから発された美に触れ、共鳴すること。自分にとっての美を探して、深めていくこと。このふたつを味わい続けながら、今度は自分からも美を放ってみる。そんなに大それたことをしなくてもいい。ふとした言葉遣いやしぐさにだって、美を忍ばせることはできる。今度はそれが、誰かにとっての着火点となるかもしれない。